Did you know that?

田中寿美
[ profile ]

32.アメリカ学生歌舞伎が伝えてくれたもの(前半)

私は、夫と知り合うまで日本伝統芸能についてほとんど何にも知らなかった。九州で生まれ育ち、大学時代も親からの仕送りで暮らし、働き始めても自活していた私にとって、能、狂言、歌舞伎などを観に行くということは、贅沢極まりないことだった。いや、日本伝統芸能そのものに興味がなかった、いや、それを楽しむという世界があることさえ知らなかったといったほうが良いかもしれない。

しかし何の因果か、結婚した相手はアメリカ人の日本文学、日本伝統芸能の研究家。習い事は狂言、日本舞踊、義太夫など……。この人いわゆるオタク的「変な外人」じゃないかしら?と最初のころは思った。夫は、当時から歌舞伎や文楽のイヤフォンガイド英語解説もしていたため、初日が近づくと週に3、4日歌舞伎座や国立劇場に通っていた。しかもアメリカでの生活はともかく、日本に住む時には毎週のように、
「今週は狂言で、茂山先生(夫は大学院生時代京都に留学していたとき、人間国宝になられた茂山千作先生(当時千五郎)の元に稽古に通っていた)が出演されるから、是非一緒に観にいこう。もう切符も買ってある……」
「今月の歌舞伎は面白いよ。玉三郎のだよ。もう予約してある」

私の都合や興味などお構いなし、自分が面白いと思っているものを、他の人が面白くないはずがないと信じている……。しかし、いくら素晴らしいからといわれても、私が日本伝統芸能通になるはずもなく、おまけに切符が高いので、観にいく数は限られていた。

日本伝統芸能オタクの夫
日本伝統芸能オタクの夫
Sarah Q.Austin
歌舞伎の前座として日本舞踊を踊る学生たち10人の中の2人(舞台稽古)
Sarah Q. & Austin

このような私も、アメリカで夫と20年以上暮らすうちに、そして、大学での授業を手伝うことによって日本伝統芸能の何たるかを少しずつ学んでいった。夫は、我が子の子守唄代わりに能の謡、狂言の小唄を謡った。また大学のコースとして自分で翻訳した 能・狂言、小舞、仕舞、小唄を含めた授業を教え、一般公開の舞台で発表させてきた。1995年からは歌舞伎公演も加わった。私は日本に帰るたびに古着を買い集め、夫の発表会に出る 学生たちに着物をきせてきた。もう700人ぐらいの学生たちに着せただろうか。

二年前、夫の歌舞伎発表会「ういろう売り」を観た他大学の教授が、是非自分の大学の演劇学部の学生たちの歌舞伎公演の演出をして欲しいと依頼してきた。今までの授業の発表会とは違う歌舞伎のプロデュースができる。プロの俳優になりたいと思っている学生たちにオーディションを受けさせ、配役を決める。その後、有料の公演を3週間行う。花道のある特設舞台を作る予算も出るという。その上、その大学の演劇学部の教授陣が、予算や公演準備などの総括をしてくれ、舞台・小道具、舞台衣装の専門家も一緒に働く。夢のような依頼だった。夫にとっては、自分の大学で教鞭をとりながら、車で一時間もかかる別の大学でも教えるという大変さはあったが、欣喜雀躍として引き受けた。

題目について、夫の心は決まっていた。三島由紀夫作『鰯売り恋の引網』である。2007年、夫は念願の三島由紀夫戯曲集英語翻訳本「Mishima on Stage-The Black Lizard & Other Plays」の上梓にこぎつけた。その中の一編が『鰯売り恋の引網』である。三島由紀夫の歌舞伎にかける情熱と彼のユーモアのセンスに夫は心酔していた。日本の歌舞伎座でも、最も人気がある題目の一つであることからも、三島歌舞伎の卓越した面白さがわかる。夫は、坂東玉三郎と中村勘九郎主演のこの歌舞伎を初めて観たときから、アメリカでこれを学生歌舞伎として実現するのが夢であった。

今年一月下旬にオーディションを行った。オーディションは、三部に分かれ、一部は、夫が数時間をかけて教えた藤間流の短い日本舞踊、二部は二人一組の太刀まわり、そして最後が『鰯売り恋の引網』の英訳台詞を自分なりに解釈し、グループで演じてみせると言うものであった。私も審査委員として演劇学部教授たちと立ち合った。27名が2名から5名ずつのグループになって受ける。西洋のものならともかく、日本舞踊どころか日本そのものに興味も縁のなかった学生たちが膝を曲げ、腰を落とし、摺り足で動き踊らなければならない。太刀まわりも腰の位置や摺り足、姿勢が大切である。膝が曲がらない、へっぴり腰、摺り足ができない。太刀をもたせれば飛んで切りかかる。この二つの実技で学生たちの器用さ不器用さ、そして日本人として演技する素養があるかどうかを判断した。三部目の演技は、さすがに演劇学部の学生たちである。どの学生も個性豊かに自分なりの解釈で演じて見せてくれた。

3時間ほどのオーディションを終えた後、他の教授たちと配役を決めていった。全員が主役の鰯売り『猿源氏』と花魁『蛍火』を誰にするか一致した。Aaron とOlivia。この二人に歌舞伎の運命が託されたような気持ちであったが、夫も私も、これ程適役の人材がいたことを喜ぶと同時に驚いた。

稽古は週3回から4回、夜の6時から9時までの3時間ずつ行われた。夫は、劇に出演する学生の演技指導、又舞台や馬作りの企画に忙しい。

私は舞台衣装全般、特に花魁6人の衣装担当を引き受けていた。主役のAaronは、身長180センチメートル、体重85キロ、ウエイトリフティングで鍛えた筋肉隆々の男性である。我が家にあるどの様な男物の着物も合わない。Oliviaは身長175センチメートルの立派な体格の女性。他の花魁役の2人も175センチ、女形の男性は178センチもある。


日本舞踊名取・藤間左右主役の二人Aaron & Olivia
左:日本舞踊名取・藤間左右(Colleen Lanki)の創作舞踊の指導を受ける花魁。袖に手を入れ隠す練習のため、又裾さばきのために市販の浴衣を作り変え練習する風景。手前が女形のJustin。
右:主役の二人Aaron & Olivia。最終仕上げの為、我が家で仮に衣装をつけ練習する。Oliviaの着物だけは、東京に住む妹に頼み、浅草の舞踊衣装店で買って送ってもらった。Bobbyが作った「猿源氏」の着物と袴。Oliviaは素顔も性格も美しい女性である。

私は大学の衣装専門の教授Bobbyと一緒に働くことになっていたが、彼は、今まで日本の劇のプロダクションに関わったことがないので、着物は全く作ったこともなければ、実物を見たことさえないという。衣装の殆どは、私の古着を利用することになっていたが、花魁たちは、古着が比較的小さいのに対して、見た目よりがたいがず~と大きい。兎に角、主役「鰯売り」の衣装やどうしても手に入らない裃(かみしも)などは作るほかない。Bobbyが手がけるものは決まった。さすがプロである。早速着物の作り方の英語版の本を取り寄せ、主役の着物、袴、裃(かみしも)など作り始めた。

問題は6人の花魁であった。配役は美しい女性や男性がいる。着物を作ることもどうにかできるだろう。しかし、日本独特の美しい着物にできるような生地はどう探してもない。衣装全部を日本から買って取り寄せるような予算もない。配役が決まった後、我が家で衣装合わせをするが、古着を花魁役に着せても、背の高い彼女たちの着丈ほどしかない。とても引き摺りににし(ふき)をつけることなどできそうもない。袖の長さだって足りない。頭を抱えてしまった。
「引き受けてはみたものの、花魁の着物、できるのだろうか……」

着物の長さが足りない場合、着物の帯の下に隠れる胴の部分を切って、そこに似た生地を継ぎ足す方法もある。しかし裏地の処理もあり技術的に難しく、古着であっても美しい着物を切り刻むのは忍びなかった。その上20センチほど継ぎ足しても、女性たちの引き摺りには到底長さが足りない。

(袷・綿入れの袖口や裾の裏地を表に折り返し表から少しのぞくように仕立てた部分。引き摺り の着物の場合、裾が弧を描き美しい。)

悩みに悩んだ末の決断は、裾に別の似たような生地を付け足すことだった。着物を床ギリギリに着せ、引き摺る部分を継ぎ足せばどうにか誤魔化せる。これしかない!

アメリカの手芸用品店は、着物の反物のような繊細かつ豪奢なものはないが、布の品揃えが豊富で、アメリカンキルト用布はもちろんのこと、カーテン、椅子用張替え生地、ウエディングやパーティドレス、絹から羅紗、模様もオリエンタルからマンガキャラクターと、どの様なものでも家庭で作れるよう揃っている。似たような色の生地を探せるだろうと、Bobbyと一緒に付け足す布とに合う裏地を探しまわった。しかし、着物と同じ生地は決して無いのだから、これも至難の業であった。どうにか妥協して決める。


衣装合わせ衣装合わせ 古着に布を継ぎ足し、を二重につけた花魁の衣装(衣装合わせ)
左:Kelsey(彼女は白人の母と黒人”アフリカン・アメリカン”の父をもつ。肌が透き通るように白い。父親はサンフランシスコに住む優秀なビジネスマン。一週間ポートランドに滞在し娘の演技と美しさを満喫した) 右:Kristen

私が花魁の衣装で悩んでいる間も、それぞれ責任を負った人たちが、初めて挑む日本の舞台に苦心惨憺しながら創作に励んでいた。舞台、道具担当者も大変だった。大学の劇場が改修中で使えないため、大型テント劇場を設置し、花道のある舞台を作った。又二週間の大学での公演後、最終週は一時間離れたポートランドの大きな劇場に舞台を移動させる計画であったため、その規格に合う分解組立可能な舞台を作らなければならなかった。襖を作る。襖絵を描く、照明デザイ ン、駕籠、小道具を作る。細々した仕事は山のようにあった。究極は「馬」であった。85キロの男性が乗っても壊れないほど丈夫であり、人が入って動くため、その重さに耐えられる軽量の馬を作るのが目標である。中から動かすことができる頭が調整できず傾いてしまうのを真っ直ぐにさせるのも、並々ならぬ苦労と工夫であった。


舞台稽古ポートランド舞台
左:主役の『猿源氏』が初めて乗る馬に、思わず後ろ向きに乗ってしまうシーン(舞台稽古)
右:本物の馬のように見える立派に出来上がった馬。中に入っている前足のDanは身長二メートルの大男。馬は当然大型となり、主役のAaronは脚立を使って乗らなければならなかった。馬は『Tiny-チビ』と名付けられ、動きのひょうきんさが受けて、出てくる度に大喝采をあびた。(ポートランド舞台)

(次週は「鬘作り」の話から。つづく)

2010年6月28日号
(第4巻161号)