エッセイ:ロンドン便り

ロンドン便り:その11

パリ狂がロンドンに住んだら

北原千津子
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再び道のはなし

ロンドンに暮らし始めて間もないころのこと。ある人とある場所で落ち合うことになった。

パリと同じように、ロンドンも道の名前とそこに付された番号を「住所」として使う街である。

日本のように、ある程度まとまった地域に名称をつけ、その中をいくつかに分け、丁目番地というように区画を住所とする土地では、よほど地域に精通していない限り、「その住所」を見つけ出すのはとても難しいが、ロンドンなら探すのはわけもないだろう。

「大丈夫。住所を教えてください。住所を見れば行かれますから」

私は、地図を読む(見る?)のが好きだし、「住所さえ持てばどこにでも行かれる」という生活をパリで長年してきたので、自信満々で電話を切った。

ちょうどその数日前に、とても立派な大判の、1センチメートルが100メートル、というような詳しいロンドン地図を購入したばかりである。早速、教えられた住所を索引で引き始めた。

ロンドン地図パリ地図
ロンドン地図、パリ地図の索引です。パリのほう、同じような名前が並ぶが、同じものがほとんどない。

困った。

同じ道の名前がいくつもある!

想定外の出来事だった。私の自信が5%ほど揺らいだ。

例えば、ヴィクトリア女王の夫であった、アルバートさん。彼の名前を持つ道はロンドン(正確にはグレーターロンドンと称し、「東京都」のような感じ。広大な都市圏をさす)内に20以上もある。しかも、それは、アルバート「ロード」だけで、であり、その他にも「ストリート」がいくつかあり、「プレイス」が数か所あり、「スクエア」も「テラス」も「ミューズ」もあるのだ。パリの時のように、「分かったわ、サン・ドミニックね」などと、固有名詞を何となく覚えれば用が足りる、とはいきそうにない。

パリの住所は、ほとんどが、リュ(rue;フランス語で道という意味)で始まる。たまに、「道」は、ブルバール (bd)とかアブニュ(av)という、大きな並木通りであったり、また、道ではなく、プラス (pl)という広場のこともあるが、固有名詞自体が重複することは非常にまれである。だから、道の名前を聞けば、それが有名な通りなら何となく見当もつくし、地図の索引もとても引きやすい。

パリ市20区は、東京の山の手線ぐるりをほんの少し大きくしただけで、総面積が100平方キロメートルほどだから、その10倍以上あるグレーターロンドンと比べてはいけないのだが、地図の索引を見て、私は愕然とした。

ポストコードを照らし合わせて、行きたい地域がどの自治体に属するのかをしっかり分かってからでなければ見つけ出すことのできないその住所に、溜息が出た。2つのシティーと、31の周辺区からなる広大な地域を「ロンドン」と一括りにしていることを、私は知らなかった。

パリは簡単だったのに・・・。

パリのパネル
パリのパネル。定型。上の数字が区を表し、中に大きく道の名前。たまに下に小さく、名前の由来(ほとんどが過去の有名人です)。道の端の建物、他の道と交差するところの建物には、必ず、このパネルがあります。そして建物の入口上には数字パネルが貼られている。

私は、必死になって、ロンドン地図の索引とにらめっこし、どうにかこうにか地図上でそこを見つけ、メモ用紙に、簡単に線を描き、名前を入れた。そして、それを手に約束の場所へと行った。

しかし、現場でもまた大きく裏切られた。

パリにある、緑と濃紺の定型の、道の名前のプレートのようなものはロンドンには存在しない。たまに、これがパネルだ、と思われる名前の板があるにはあるが、その設置場所はきまぐれで、一定の約束があるとも思えない。形体もいくつか。古い建物の上のほうの壁にうっすらと文字が見えたりもするが、雨風にさらされてその文字も判読不可能だったりする。

約束の場所にだいぶ近づいたはずなのに、一向にその通りの名前を見つけることのできない私は、信号を渡りながら、目の前の建物の壁を不安げに見上げた。

ここの道? それとも、次の道?・・・

「大丈夫住所さえあれば」と大口をたたいたのを後悔していた。

シティ・オブ・ウエストミンスターのパネル
シティ・オブ・ウエストミンスターでは、パネルも比較的きちんとしているが・・・

その後、インターネットのグーグル地図という便利なものも活用するようになり、さらに、英国は、ポストコードが非常に発達した国であることを認識した(アルファベットと数字5-6文字によるポストコードは、ほとんどどんぴしゃで住所を示している。コードさえあれば、住所表示は全く必要ない。大げさに言えば、1軒に一つコードがあると言ってもよいほどである)現在、ロンドンのどこかの住所を見つけるのに、全く苦労はしていないが、呆れてしまう出来事は、実はかなりしばしばある。

ブルーパネル
壁ばかり見て歩くと、面白いパネルをたくさん見つけます。このブルーパネルはそれこそ「定型」です。過去にその場所に有名人が住んでいた・・・という。

先日、ギターの弾き語りで有名な、長谷川きよしさんという日本のベテランミュージシャンのライヴがロンドンの街であった。

彼の欧州ツアーのお手伝いをし、ロンドンのライヴ会場を探したのは私だが、当日は、会場設営のために早くから出かけてしまい、夕方、彼を会場へと案内したのは東京からやってきたスタッフだった。

「大丈夫、すごく簡単なの。チューブの駅からはまっすぐだし。ブラックキャブなら間違えることもないわ」と、私はいつものように軽く言っていたのだが。

その時彼らが乗ったタクシーの運転手は、なかなか会場にたどり着けず、あちらこちらと大回りしたらしい。

ロンドン中の道を熟知していなければブラックキャブの免許は貰えない、と聞いていたし、実際、どの運転手も本当によく道を知っている。だから、そんなはずもなかろう、さてはもぐりの運転手か?などと疑ったが、ライヴハウスの人に聞いて事情が呑み込めた。

その道は、番号が順当にふられていないのである。普通(というか、パリでは)、一本の道には、左右交互に順番に数字を打っていくから、ほぼ同じような数字が対面して並ぶのだが、ロンドンでは・・・

ブラックキャブ
タクシー:ブラックキャブと呼ばれる真っ黒くてもっそりとした四角い車(定型!)。もっとも必ずしも黒ではなく、シルバーも見かける。何かの宣伝をしているようなカラフルなものも増えてきた。 4-5人乗り(2人は進行方向を背にする)。乗客スペースは広くて、旅行鞄なども一緒に載せる。 タクシーの前面上部の灯りがオレンジについている時が、空車の合図。

そういえば、だいぶ以前に、公園に面する(つまり、片側にしか家がないような通り)知人の家を訪ねた時にも、どうしても「その住所」が見当たらず、道の端まで行って、ようやく、その斜め横につながる、まるで「別の道」と思えるような所からまた番号が続いているのを見つけたんだっけ・・・

パリの、「すべての道が、セーヌに一番近い所を起点とし、左側の建物から番号を打つ(つまり左が奇数、右が偶数)。セーヌに平行する道は、その流れに合わせる」という、なんとも美しい秩序にすっかり慣らされていた私は、このロンドンの馬鹿さ加減(!?)に呆れた。

考えてみると、私の現在のロンドンの住まいも、大きな道路に面しているが、その番号はない。あるのは、建物の名称だけだ。その名称がなぜか数字付きなので、あたかも「住所の番号」のように見えるが、実は、全く意味をなしていない。隣の建物の名称にも番号があるが、そちらとこちらとの関連性も皆無(と思える)。

とすると、「道の名前と番号が住所」という説明をロンドンは返上しなければならないかもしれない。

オクスフォードストリート
一応、「道」を代表してオクスフォードストリートの写真を加えます。オクスフォードストリートはさすがグレーターロンドンにも一本だけでした。でも、オクスフォードロードはたくさん! ちなみにこの道は、バスとタクシーのみ通行可で、一般車は入れません。(いつも渋滞だから入りたくもありませんが)

2010年12月13日号
(第4巻180号)